六畳一間の雑記帳

こんな駄文鼻で笑い飛ばしてやってください

日記、始めます。

さて、皆様

はじめまして

 

私はkzと申します。神奈川生まれ神奈川育ち

現在は、都内でレコーディングエンジニアという仕事をしています。(実際はまだまだアシスタントですが)

 

このブログはそんなごくごくどこにでもいる一般男性の雑記帳、自由帳というか、日記というか、生産性のかけらもない戯言をつづっていく、そんなブログでございます。

 

だからこんなものをのぞいてる暇があるならもっと自分のためになる記事や本を読みなさい。時間の無駄です。

 

とはいえ、わざわざ覗いていただいた方々にそんなことをいうのは失礼だとも思うので

 

 

今回は初回の投稿としてなぜこんな日記なんてものを一生残るインターネットに残そうと思ったかについてお話しようと思います。

 

 

理由は簡単、私がこの世に生きた証を残したいと思ったからです。

私がこんなに面白い人生を歩んできたんだという証

こういうとなんとも痛々しくて見てらんないですが、おおむねこの通りなのだから仕方がない。

 

どういうことか

 

私、kzという人間は実につまらない人間です。

頭がいいわけでもなく、特技があるわけでもない。顔がいいわけでもなければ、笑いのセンスがあるわけでもない。

文才もなければ、芸術の才もなく、スポーツも人並、何か人に譲れないこだわりがあるわけでもない。

 

小中高と周りのみんなに助けてもらいながら、ただのうのうと自立も、自律もできないまま就職し、この世に生を受けてから24年が過ぎてしまった。

 

一応青春なんてものは一通り謳歌した気もするが、通り過ぎて手元に残ったものは、傷心の傷跡と黒歴史だけ。形に残るようなものは捨ててしまったか、置いてきてしまった。

 

よく学生時代を振り返ることがあり、そのたびあの頃の自分はなんて恐れ知らずで快活な野郎だったんだと、感心する。

 

高校の時点で私は一般企業への就職は諦め、音楽の道に進むことにした。

 

この頃の私には音楽しかなかった。

音楽というものが日々の活動の活力であり、唯一の自分を認めてくれる存在だった。

人生を歩んできて初めて生きがいというものを感じた瞬間でもあったんだと思う。

気の合う友人もできたし、初めての彼女もできた。バンド活動をして、方向性の違いで喧嘩なんてこともしたことがある。

まさしく青春。

瑞々しさにあふれた高校生活だった。

 

部活をして、バイトをして、彼女と遊ぶ生活。

 

ここが今まで歩んできた人生のピークであり、最も自分が「面白い人間」だった時でもある。

 

当時、バンドブームの最中、多種多様なアーティストにあこがれ、いつかは自分もと思い描いていた未来像は拡大していった。

 

ミュージシャンになりたい。ロックバンドを組んでプレーヤーとして活躍したい。

 

 

 

でも、その道に進むことはなかった。

理由は、母と私の病気と、父親の死。

 

正直、今真面目に音楽をしている人たちからすれば言い訳にしか聞こえないだろうが、

当時のあまりに重なりに重なりまくった出来事に、私はもうただ安直に楽しみを追うなんてことはできなくなっていた。ほんの一握りの夢を追いかけられるほど現実は甘くなかった。

 

私の病気と父の死で抑うつになってしまった母。

高校であったいろんな出来事を抱え人間不信になる私。

 

人生で一番つらい瞬間だった。

 

そして「つまらない人間」になってしまった瞬間ともいえる。

 

もともと併せ持っていた卑屈さは加速し、他人と自分を比べては自分を嫌いになり

いざ何かに向け進もうとすると、脳裏によぎる他人からの無能の烙印を押されてしまうのではという恐怖

失敗を恐れ、顔色を窺い、好きなものへの興味も薄れ、母親とぶつかり、そのたびストレスで再発する病気

 

高校時代の快活さはかけらもなくなっていた。

心から楽しいと思えることなんて何一つなかった。

高校生活の思い出などは黒歴史へと変わり、永遠と脳内で思い出しては辱めを受けていた。

レコーディングスタジオに就職して、技術職という職業柄、怒られての毎日。

何とか音楽にかかわりたいと思って入った職場はとにかくつらい日々で、なんでこんな仕事選んでしまったのだという後悔が日に日に大きくなっていった。

 

友人に誘われて遊びに行っても、気の利いた事も言えず、精いっぱいの愛想笑いで何とかノリに合わせるようになり、みんなはそう言いはしないが、つまらんやつだなと思われていたと思う。

 

実際被害妄想なのかもしれないが、そう思ってしまう自分がさらに嫌になり、自己嫌悪のループにはまっていった。

 

「人生いろんなことあるって。これから楽しいことをいっぱいあると思うよ」

と、友人は言ってくれた。

でもその場しのぎの耳障りのいいことを言ってるだけに過ぎないんじゃないかと思ってしまい、励みの言葉も心に響かなくなってしまっていた。

 

まさに糞人間。そりゃあ友達も少なくなって当然だった。

 

 

そんな最中、私の友人からこんな話を持ち掛けられた。

「俺の友達と三人でシェアハウスしないか」

 

高校の部活で一緒にバンドを組んでいた一人が、そういってきた。

 

いつも誘う側だった私が、彼からそんなことを誘われた。

うれしかった。誰かから誘われることも少なかった私にとって、それは人生を変える言葉だった。

 

ひとり身の母親の心配もあった。安月給で一人暮らしなんてできるはずもないと思っていた。

でも、この瞬間しかないと思った。

今までの自分を変えるためには。

 

 

 

 

 

 

と、これこそ私にとって第二のウィークポイントであり

現在進行形で続く私の物語第三章といったところである。

 

 

実際いま一緒に住む彼ら二人はすごい。才能のある二人。あこがれと嫉妬の繰り返し。

でも、めちゃくちゃ楽しい日々。刺激しかない。

 

 

今この二人おかげで、私は「おもしろくない人間」から「おもしろい人間」へなるためのリハビリができている気がするのだ。

 

私が80や100になったとき、私ってやつは面白い人生を歩んだ人間だったな。と思える

そんな「面白い人間」になるために。

 

 

 

 

 

 

あれ、そもそもなんでこんな話したんだっけ。

ああ、なんでこんな日記を書こうと思ったかでした。

 

とまあ、私のこれまでの人生を物語調に本当9割冗談1割でつづってきましたが、稚拙で脈絡もない文章でお目汚ししてしまい申し訳ありません。もう少し勉強してきます。

 

とはいえ、人生は山があれば、谷があり、でかい壁を前にすることもあれば、高い崖に立たされることもあるわけで

それらを登ったり打開したり飛び越えていくには何か新しいことを始めて新しい生きがいなんてものをたくさん見つけたほうがいいと思ったわけです。

一緒にシェアハウスをする二人に負けじとね

 

といっても何がいいかと考えていた時、最初に浮かんだのが日記。日記なんてものをしてみるのはいいんじゃないかと。

そう思っているうちに、ああ、今までの人生を振り返るいい機会だし、これからの人生を記すにはちょうどいいなとおもいまして。

 

齢24がやるには少々爺臭いかもしれないけれど、たまに覗いてやってみてください。

ちょっとばかし面白い話もあるかもしれません。

 

では、また。